工芸建築という発想からものづくりの次代を考える。/vol.5 「忘機庵 ゆらぎの茶室~工芸建築の試み~」レポート

浦建築研究所として取り組んでいきたい大きなテーマの一つ「工芸建築」。弊社では茶人や工芸作家など各分野のプロフェッショナルと共に、多角的な視点からその可能性を模索しています。

工芸建築という新たな概念を広くめるべく、2023年9月には金沢21世紀美術館にて「忘機庵 ゆらぎの茶室~工芸建築の試み~」と題したフォーラムを主催いたしました。ゲストに秋元雄史氏(東京藝術大学名誉教授)、高木伸哉氏(株式会社フリックスタジオ代表取締役)をお迎し、弊社代表の浦淳を交えての鼎談。「工芸建築」が提唱された背景やその面白みなど、フォーラムの様子から一部ご紹介いたします。

 

<Profile>
東京藝術大学名誉教授金沢21世紀美術館特任館長
秋元 雄史 Yuji Akimoto

2007年より10年間、金沢21世紀美術館館長を務め、現在は特任館長及び、東京藝術大学大学美術館館長・教授、練馬区立美術館館長を務める。

 

<Profile>
編集者・ライター
高木 伸哉 Shinya Takagi

建築を専門に出版制作を行う株式会社フリックスタジオ代表取締役。金沢まち・ひと会議発行の「忘機庵-ゆらぎの茶室工芸建築の試み」の編集に携わる。

 

<Profile>
浦建築代表取締役社長
浦 淳 Jun Ura

建築設計事務所の代表を務める一方、まちづくりのNPO法人趣都金澤や文化事業会社ノエチカを設立し、精力的に北陸の建築・文化の発信に取り組む。

※「趣都金澤」
「日本一趣深い都市趣都・金沢」の実現をキーワードに、金沢の強みである文化を機軸とした市民主導のまちづくりを行うNPO(特定非営利活動)法人。

生産合理性の追求にとどまると、
おそらく失っているものが多くあるはず。

秋元 :「工芸建築」というワードをはじめて発したのは、2015、6 年の頃だったかと思います。ほとんど私の思いつきのようなところからはじまりました。「工芸」を現代アートやデザインの中で再編するという夢を見まして、それをさらに広げて建築まで広げたらどうなるだろうと考えて、「工芸建築」なる珍妙な言葉を思いつきました。それを浦さんや「趣都金澤」の中で話をしたことから始まったんです。

高木: 私は「忘機庵-ゆらぎの茶室工芸建築の試み」の冊子を作る際に、制作に参加させていただいたのですが、今の時代にあえて工芸建築を考えていこうというこの提唱に、非常に興味がわきました。現代建築の関心ごとというと、生産的合理性であるとか環境配慮、持続可能性などが大きなテーマになっていますが、工芸技術いわゆる職人的なものづくりを集約するような建物を作るにはコストもかかるので、今じゃなかなかできない背景があるわけですよね。このまま生産的合理性ばかりを追っていくと、おそらく失っているものが多くあるはずです。そういった意味でも、浦さんがドイツで作られた「忘機庵-ゆらぎの茶室」は工芸建築の形を表現したひとつなりますが、これはこれで実現にいたるまで大変なプロジェクトだったんじゃないですか?

浦 :そうですね。構造面もコスト面もそうですが、今回は茶室という非常に精神性の高い建物でしたので、特別なプロジェクトになりました。こういった精神性を建築に表現できる機会ってなかなかないんですよね。「忘機庵-ゆらぎの茶室」には伏線がありまして、2016年に奈良先生をはじめとする同じメンバーで「破壊と創造」をテーマとする野点の茶会を行いました。その時の経験や精神的なつながりがあったからこそ、早い段階でアイデアを形づくることができたんだろうと思います。制作中もこれはできそう、これは難しいと積極的に意見を出しあう中に、楽しさも感じました。

 

高木 :ある種請負の案件ではなくて、自分の精神性を発動できるプロジェクトというところにモチベーションがあったということですが、設計者であれば誰しもが挑戦したい機会だと思います。工芸作家さんとの交流は、元々あったものですか?

秋元 : それは、石川という土壌もあると思います。また「趣都金澤」にいろんな人たちが集まってくるというのもありますよね。我々だけじゃなく、金沢は我々の上の世代から、まちづくりについていろんなやりとりがあった。例えば、金沢のまちづくりの中で「工芸」あるいは「ものづくり」といったことがキーワードとして出ていて、建築、まちづくり、工芸、アートなど、これらがシームレスに話し合える。「よし、集まろう」と声をかけたら、すぐに話し合いの場が持てたりするじゃないですか。

浦 :そうですね。金沢は本当に工芸が盛んな場所ですし、ここ数年でアートと工芸の領域が曖昧になるなど大きな変化もあります。その中で、いろんなジャンルの若手作家さんとも交流がありますし、距離が近いのもいいところです。作家さんってやっぱり、建築や設計の仲間とは違ったメンタリティを持っているんですよね。さきほどの茶室の件もそうですが、日々お茶や日々工芸のことを考えている方と新しく、かつ本物の茶室づくりにトライすることは、大きな刺激があり勉強にもなりました。

金沢という街には、伝統と革新の両方に身を置くゆらぎのような面白さがある。

高木 :とはいえ、工芸と建築、一番遠くにある両者が一緒になって建物を作るというのは、なかなかレアな機会かと。お二人は今後、工芸建築の持つ可能性がどうなっていくといいなと思いますか?

秋元 :そうですね。金沢という都市の良さって、伝統なのか革新なのかどちらかに振り切るのではなくて、まさに「ゆらぎ」の中にある。伝統と革新の両方に身を置いている面白さがあると思います。京都や東京などいろんなところから文化を輸入して、金沢的に加工をしてきた。そこには金沢の人の生真面目さや、ものづくりを丁寧にやっていくという、思いがある。そして金沢の人たちは、「つくる」だけじゃなく、自分たちで使っていく、文化として使っていく需要する側でもあり、文化を育んでいく特性を持っているんですよね。そして、セルフアイデンティティを作り上げていく。その使い方がとても上手い。そんなふうに工芸建築も金沢の文化として継承されていくといいなと思います。工芸建築がひとつでなく、街並みのレベルにまで展開されていくと面白いですね。今、東京の街がどんどん新しくなっていて、「真新しさ」で均一になっている。一方で、金沢の街にはいろんな時代が並列をしていて、ミルフィーユのように折り重なった「時間」がある。私は東京で暮らしていますが、金沢の街を懐かしく思うのは、そういった魅力があるからです。今後、これらの魅力をどのようにうまく残して展開していくかは、大事だと思いますよ。

既成概念に捉われず、地域資源を積極的に取り入れる姿勢があれば、建築の可能性は広がっていく。

浦 :建築にもある種「こうでなければいけない」という体制的なものがあると思っています。同じように工芸にもあるとは思いますが、若い建築家や工芸作家がどんどんでてきて、いろんな見方も出てきています。これまでの体制的なものが崩れつつあるなかで、いわゆる建築DXなど、新しい建築技術を使えば工芸作家に限らず、例えばファッションデザイナーとだってコラボできる可能性はあると思いますよ。今回の場合は地域性を含め工芸でしたが、このようなスキームを展開すれば、建築の可能性は更に広がるのではと感じています。秋元さんの「工芸建築」という発想がまず根底にあって、奈良先生を始めとする作家さんとのご縁につながって、そこに設計者がディレクター的な振る舞いもしながら、建築としてまとめていく、こういったプロセスがこのプロジェクトの肝であったと思います。そういうメンタリティで続けていければ「新しい何か」が生まれてくるのかもしれません。あまり建築的な評価にとらわれすぎないほうが、自由でいい発想ができることもあります。これからも新しいコラボレーションの輪を広げていけるといいですね。

高木 :そういった浦さんが持つメンタリティが、さらに下の世代へと引き継がれていくのは、いいことですね。おそらくものづくりの種というのは、ちょっとずつ次の世代へと移っていくでしょうから、この先浦建築さんのところで面白いものができたというニュースが、我々の耳に入ってくることを楽しみにしています。

浦 :ありがとうございます。

(取材:2023年9月)