必要なのは「繋いで弾けさせる人」/vol.4 九谷焼作家・牟田陽日さん

浦建築研究所のミッションステートメント「共に、築く」。こちらのコラムでは、私たちとプロジェクトを共にしてくださっている方々へのインタビューもご紹介していきます。コラム第4回は、九谷焼作家・牟田陽日さん。浦建築研究所が設計を担当した「能美市ふるさと交流センター さらい」が、2022年に「ウェルネスハウス SARAI」としてリニューアルした際、牟田さんはエントランスの壁画、そして宿泊部屋の一室を担当してくださいました。

かねてより「建築×工芸の可能性に興味をもっていた」という牟田さん。今回はSARAIのために描いた作品について、そして工芸建築の可能性にまでお話をうかがって来ました。

<Profile>
牟田陽日  Yoca  Muta

2008年ロンドン大学ゴールドスミスカレッジファインアート科卒業。 2012年石川県立九谷焼技術研修所卒業。 現在、石川県能美市にて工房兼住居を構える。 陶磁器に彩色を施す色絵の技法を主軸に、日常的な食器、茶器などの美術工芸品からアートワークまで多岐に渡り制作。

牟田陽日さん。「ウェルネスハウス SARAI」のエントランス壁画前にて

“作品”と“空間”と“行動”の同居

──牟田さんは元々「工芸建築」の要素があるプロジェクトに興味をお持ちだったのですよね。

牟田:そうですね。金沢21世紀美術館での「工芸建築展」は、新たな工芸の可能性が羅列されているようでとても面白かったですし、それ以前の「金沢西病院」のリニューアルで、病院の壁に工芸作家さんが制作した作品を取り入れた取り組みも興味深く拝見していました。なので浦さんには「もし私にヒットしそうな案件があったら、ぜひお声がけください」と軽口を叩いてたんです(笑)。

──そもそも牟田さんが「工芸」と「空間」の関係性に興味を持ち始めたのはどのあたりだったのでしょう?

牟田: 私は元々ファインアートの世界で「空間の中における作品づくり」に取り組んでいたんですが、そのきっかけとして秋元雄史さんが関わっていた、直島(ベネッセアートサイト直島)が一つの原体験としてありました。
ちょうど直島のプロジェクトが始まったばかりの頃で、私もまだ現代美術を志したばかりの20歳前後。今よりもっと“村感”が色濃かった島内を歩いて巡り、古い建物の中に入れば突如として作品が現れて。建物と作品と、そこに座る私ー…。作品と人間の行動空間が一緒になっているというところに、すごく感銘を受けたんですね。

そこから「空間自体が作品にどれだけの影響を及ぼすのか」いうことに興味を持ちはじめて、「作品自体が空間の一部である」という意識で制作をしてきました。現代アートからセラミックに移行してからは器ばかり制作していましたが、この「うつわ」もどんどん広げていきたいと考えていたところで。そこに浦さんから「SARAI」のお話をお声がけいただき、とても自然な流れで「やってみたい」と思いました。

“能美” “九谷焼”にフォーカスした施設

牟田:ここには旧「さらい」の時からご飯を食べによく来ていましたし、九谷焼研修所の客員の先生方もこちらを宿泊拠点にされていたので、元々馴染み深くて身近な存在でした。環境も建築も素敵で、すごくポテンシャルを感じていましたが、あまり知られていなかったりするのがもったいないなぁと。なので、リニューアルプロジェクトのお声をかけていただいた時は、いち能美市民としても「わ!頑張ろう!」と思いましたね。

──プロジェクトの概要を聞いた時の印象はいかがでしたか?

牟田:まず惹かれたのは「九谷焼」にフォーカスしてくださっているところ。「アートホテル」って今流行っていますし、全国各地に色々とあると思うのですが、「その地域の特色であり、その地域にしかないもの」としての伝統工芸を、宿泊施設とピタリと合わせてここまで取り組んでいる事例って、あまり見ないように思います。
それも「能美」という、「金沢」に比べたらちょっと辺鄙な場所でやるところも面白い。県外の方からは「九谷焼って金沢の工芸ですよね」と言われることも多くて、もちろん金沢にも九谷焼はありますが、主力な生産地といえばやはり能美・小松・加賀になります。今までは知人が来るたびに、一から九谷焼の歴史を説明しなくてはいけなかったので(笑)、「能美市」として九谷焼を押し出していけるところも良いなぁと。

ウェルネスハウスSARAI外観

飲む「うつわ」、泊まれる「うつわ」

牟田:そしてSARAIの最大の特徴の一つに「泊まれる」ことがあると思います。それは「お茶を飲んで体の中に入っていく」のと同じように、今度は私たちが「うつわ」の中に入って寝泊まりしている。そういう動作や行為が介在するということが面白いなぁと。

牟田さんがプロデュースした客室牟田さんがプロデュースした客室
牟田さんの絵付けに包まれるようにして眠れる
貝を用いたランプシェードも牟田さん作。

──九谷焼をインテリアや建築素材として用いる、ということは近年シティホテルなどでよく目にしますが、そのあたりとの違いはどう思われますか?

牟田:九谷焼を装飾的に建築に取り入れることは、ラグジュアリーでコンフォータブルだし、それはそれで素敵だと思います。ただ「この場所でなければならない/この場所だからこそ」という部分においては少し弱いのかもしれない。それに九谷焼のポテンシャルを「従来以上に/より引き出す」ということにはならないのではないかなと。
「自分の作品が完全なるインテリアとして配置されている」というところから、“もう少し前に出たもの”、そういう案件であれば私はどれだけでも力を注げる思ったし、浦さんがここで実現されようとしていたことも、そういう革新的な試みではなかったかなと。


──浦さんからは、今回のプロジェクトに対してどのようなオーダーがあったのでしょうか?

牟田:それが、オーダーというものは何もなかったんです。本当に自由に制作させていただいて、それが今回一番ありがたかったところですね。
もちろん、建築上の制限や納期との折り合いはあるので、そこだけ相談させていただいて。浦さんが代表を務める別会社「ノエチカ」のアートディレクターである高井さんもディレクションに入ってくださって、そのあたりの調整も丁寧にやってくださったので、私は作品づくりに集中することができました。「こんなに自由で良いのだろうか?」とちょっと心配になるくらい(笑)。機会をいただけるならまた是非やりたいですね。

九谷の歴史を一挙に辿る、現代絵巻物風壁画

──エントランスで迎え入れてくれる九谷の壁画はまさに圧巻です。「SARAI」のために描き下されたこちらの作品テーマについてお話いただけますでしょうか。

牟田:エントランスの作品群には「空想九谷山水図」というタイトルをつけています。入り口から向かって右側手前から順に、九谷焼の歴史を絵巻物風に展開していて、そこに能美に生息する野生動物たちを加えています。古九谷に端を発する九谷焼の歴史やその時代における表現を、一挙に見れるところが面白いかなぁと個人的には思っていて、どれもモデルにしている作品はありますが、自分なりのスコープに通して描いているので“空想”とつけました。
ちょっと九谷焼に詳しい方だったら、何がモデルになっているかわかるような仕掛けにもなっていますし、何も知らないお子さんにも純粋に楽しんでいただけるよう構成しています。この壁画から九谷焼やその歴史に興味を持ってくださる方が増えるといいなと。

「空想九谷山水図」

そして、SARAIは市設民営の施設ということもあり“公共性”というか、お子様からご年配の方まで老若男女が利用される施設だということは意識しました。なので今回は華やかで楽しくて、エントランスに相応しい明るい雰囲気に仕上げたつもりです。また、ここを訪れた方が撮影など楽しめるよう、どの壁面も人が入り混みやすいような余白を意識して描いています。

今回こうして、九谷焼の建築的展開に実際にチャレンジさせていただいたことで、いろんな可能性が具体的に見えてきました。例えば展示の照度やライティング、フォルムであったりと、より建築に踏み込んだ“研いだ表現”というものにも挑戦してみたいという気持ちが湧いてきて。九谷焼としてできそうなことのイメージが次々と湧き出ている状態です(笑)。

明治以降の輸出九谷の時代を描いた壁。食器類は職人が残した「図案集」をオマージュして描いた。

“体感”できる作品

──実際のプロジェクトを一つ経験したことで、「建築と工芸」の可能性の解像度がより上がったんですね。「工芸建築」というアイディア自体にはどんな印象をお持ちですか?

牟田:基本的に「工芸建築」ってものすごく幅が広いものだと思うんですよ。建築の中に工芸素材が用いられているものが「工芸建築」なら、ただ工芸が置いてある状態も「工芸建築」といえるのかもしれないし、すでにそれは過去からもなされていることです。例えば昔の数寄屋づくりのお茶室などは、建築自体がほぼ工芸品ですし、アフリカの茅で手作りされた家だって工芸建築だと思います。多様だからこそ、この先の展開の可能性もとても感じています。
そんな中で私が工芸建築に面白みを感じているのは、「触れられる/体感できる」という点です。ある程度の耐久性があって、生活の中で触れたりする中で感じられるもの。作り手だけじゃなくて、使い手の“動作”や“体感”も取り入れられたなら、工芸建築はもっと面白くなるんじゃないかなと私は感じています。

──牟田さんがセラミックに転向されたのも、それが「使われるものだから」と以前おっしゃっていましたね。

牟田:そうなんです。セラミックアーティストって、オブジェだったり陶磁壁だったり、器意外にも結構なんでも作れますし、それを「アートピース」として現代美術に乗せて行こうと思うと、「用途性」って必要とされなかったり、時に邪魔したりすることもあると思うんです。けれど私はむしろそこが面白くて「器を作る」ということを続けています。
器って「手にとる、飲む、口に入れる、体の中に通す」という一連の行為が見ただけでも伝わってきますよね。そういうものが手の中にある、部屋の中にある、空間の中にあるー‥。人って一部のことに集中することで感覚を高めていくのと同時に、空間全体にも意識の端々を飛ばしていると思うんです。そういうところが面白いし、そういう感じ方ができるものを作りたいと思っています。

器も建築も、単体では存在しえないから

牟田:同じ器でも、部屋で飲むのと、海のそばで飲むのとではまた印象も変わりますよね。絵画は通常外には持ち出せないけれど、私の作品は「焼き物」というすごく強い媒体で、「器」であり「絵」でもある。雨が降っても持ち出せるし、移動して楽しむこともできる。だからこそ「色絵磁器」というものが、すごく面白い可能性を持っているなと思っています。

建築もそれ単体として存在しているわけではなくて、屋外の環境、地域の環境、様々な外部と関連し合っている。そう考えると、建築自体も器だし、外部から独立しては考えられないものですよね。焼き物ってポータブルがゆえに単体で完結しているように思われがちですが、私が作品を作る時は「それだけで独立しているイメージ」では作っていません。
その“一個”がいろんな環境と呼応して変わっていく。SARAIでの作品も、和田山があって、田園風景があって…という環境じゃなかったら、また違った表現になっていたと思います。

“育っていく建築”の可能性

──こうして壁に作品が組み込まれていると、それこそ触れられそうな距離感で鑑賞できるのも良いですね。

牟田:触れてみてもいいですよ。

──えっ。これも触っちゃっていいんですか !?

牟田:はい。だって壁の一部なのに触っちゃいけないなんて、ナンセンスじゃないですか。確かに、「壺」として九谷焼がそこに置かれていたら「触れない」と思うのが当然かもしれませんが、これは陶板であり壁の一部です。それぞれに感じ方はあると思いますが、こちら側としては「触れるもの」にしておきたかった。
なので、今回は基本的に「人が触っても大丈夫」という素材や位置を考えて制作していますし、むしろ「触ることで育っていく」という要素も少しですが取り入れています。例えばここにある銀の鯉や龍の角は、人に触れられたり時間を経ることで酸化して「燻銀」へと変化するようにつくってあって。

牟田:九谷焼の産地は温泉地でもあるので、浴場の陶壁として九谷焼が用いられることも多いです。ただその場合、温泉成分によって変化しないように、無鉛や耐酸の和絵の具を用いたり、またはコーティングしたりすることが一般的です。
もちろん「劣化したら困る」という部分はあると思うので、それはそうだと思うんですが、でも同時に経年劣化によるシミなども「育つ」と捉える文化が、茶陶の世界にはありますよね。建築においては木造にその価値が見出されているように、例えば焼き物のような素材を建築に取り入れることによって、経年による変化を、より楽しめるようになるかもしれない。
合理性を重視する現代の建築では難しいのかもしれないけれど、でもそれが「工芸」なら、一度そのフレームを取っ払って作ることができるかもしれない。九谷焼の先人たちの自由な発想に、現代の感覚を加えられたなら、きっと面白くなるのではないかなと。

ポテンシャルは、既に十分揃っている

── それでは最後に。今後九谷焼がより盛り上がっていくためには、どんなことが必要だとお考えですか?

牟田:九谷焼って、そもそもが「幅広くなれる可能性を持ち続けているもの」だと思っています。「焼物」という部分が九谷焼の大きなコアはあるけれども、「絵」であったり「器」であり「美術品」であったり、実に多様な要素が九谷焼を構成しています。
つくり手も本当にいろんな方がいて、器をつくる方もいれば、器以外のものやアートピースをつくっている方もたくさんいらっしゃる。もしかしたら素材や人、ポテンシャルというものは既に十分すぎるほどに揃っていて、そこにおいて一番大事なのは、浦さんのように「それらを繋げて爆竹のように弾けさせる人」なんじゃないかなと。
新しいことに取り組みたいと思っていても、個人作家ができる範囲には限りがありますし、特に私のように「外」からきて九谷焼をやっている身としては、金沢で文化的活動をされている浦さんが“つながり”や関係性をもたらしてくださるのはすごくありがたい。

それは九谷焼の歴史を見てみても、同じことがいえるのではないかと思います。陶工や画工の腕の良さはもちろんですが、やっぱりそこに「加賀藩に呼んできて大皿をつくる」といった「面白いものをつくっていくことへの働きかけ」をしていく人の存在があったはずです。
そういう人が増えていけば自ずと九谷焼も盛り上がるだろうし、産地としても“ホットな場所”になっていくのではないでしょうか。

(取材:2023年8月)